相談の概要 第三者後見人(市民後見人)として特別養護老人ホームに入所中の女性の方の成年後見人をしています。 この被後見人のご主人も,別の市町村の施設に入所しており,その市町村に事務所のある弁護士の方が成年後見人をしていました。私が成年後見人をしている奥さんの方は,私が成年後見人に選任される前にかなりの額の施設入所費用の未払いがあり,そのことがきっかけとなって市町村長申立てにより成年後見が開始したという事情があり,ご主人の成年後見人の弁護士の先生と協議して,ご主人の生活に悪影響を及ぼさない毎月1万円程度の金額を奥さんの口座に振り込んでいただき,少しずつ施設入所費用の未払金を減らしていたところなのですが,折から健康を害していたご主人が亡くなってしまいました。 ご主人の成年後見人の弁護士の先生からは,未支給年金の請求手続をした方が良いと言われているのですが,この方の唯一の子で,30年以上他の都道府県に居住しており,このご夫婦と音信不通状態だった息子さんから,「父の未支給年金は相続財産なのだから,半分引き渡して欲しい。」と言われています。息子さんに半額を引き渡す必要があるのでしょうか。 また,市役所に務めている私の夫からは,住所が別々なのにそもそも未支給年金の請求なんてできるのかと言われています。 私はどうすればよいでしょうか。 |
ご回答 未支給年金の請求手続をして,全額被後見人の方のものとして下さい。未支給年金の請求手続をすることに何の問題もありません。また,受領した未支給年金を息子さんに引き渡す必要もありません。 まず,未支給年金は,ご主人の相続財産ではありません。 未支給年金に関する国民年金法の規定と民法の相続に関する規定を比較すると,概ね以下の点で違いがあります。 @未支給年金の受給権者について定めた国民年金法19条1項は,「年金給付の受給権者が死亡した場合において,その死亡した者に支給すべき年金給付でまだその者に支給しなかつたものがあるときは,その者の配偶者,子,父母,孫,祖父母,兄弟姉妹又はこれらの者以外の三親等内の親族であつて,その者の死亡の当時その者と生計を同じくしていたものは,自己の名で,その未支給の年金の支給を請求することができる。」と規定しています。この「その者の配偶者,子,父母,孫,祖父母,兄弟姉妹又はこれらの者以外の三親等内の親族」は,文理上,曾祖父母,曾孫,叔父叔母,伯父伯母,甥姪及び姻族三親等まで含むもので,民法の定める相続人の範囲(配偶者,第1順位:子,第2順位:直系尊属,第3順位:兄弟姉妹,代襲相続人。以上民法889条,同890条,同887条)と規定の体裁も範囲も明らかに異なっています。 A未支給年金の受給権者について定めた国民年金法19条1項は,受給権者を「その者の死亡の当時その者と生計を同じくしていたもの」に限定していますが(以下「生計同一性要件」といいます。),民法は相続について親族要件だけを要求しており,生計同一性要件を規定していません。 B 民法の相続制度では,遺留分の制限はあるものの,原則として被相続人が自由に遺言によって相続させることができるのに対し,未支給年金は年金を支給されている者の意思で受給権者を指定できるわけではありません。 C 未支給年金は,国民年金法19条1項に規定された者が当然に受給できるものではなく,未支給年金の支給を受ける権利は,厚生労働大臣の裁定を受ける必要がありますが(国民年金法19条1項,同16条),相続について厚生労働大臣の裁定の制度はありません。 以上から,未支給年金の支給は,相続とは全く異なるものであり,未支給年金の受給権は相続財産に属しないといえます。 この点,東京地方裁判所昭和62年3月24日判決(同裁判所昭和61年(レ)第251号事件)は,未支給年金の受給権は相続財産に属しないと判示していますし,最高裁判所も,国民年金法19条1項は,「相続とは別の立場から一定の遺族に対して未支給の年金給付の支給を認めたものであり,死亡した受給権者が有していた右年金給付に係る請求権が同条の規定を離れて別途相続の対象となるものでないことは明らかである。」としています(最高裁判所第三小法廷平成7年11月7日判決(同裁判所平成3年(行ツ)第212号老齢年金支給請求,同参加申立て事件)。 これを本件についてみると,息子さんは30年以上他の都道府県に居住していますので,生計同一性要件を充たさず,未支給年金の受給権がないことが明らかです。したがって,息子さんに未支給年金の半額を引き渡す必要はありません。 次に,この奥さんとご主人の住所が別であるのに未支給年金の請求ができるかという問題ですが,仙台高等裁判所平成28年5月13日判決(同裁判所平成27年(行コ)第20号 未支給年金等不支給決定取消請求控訴事件)は,国民年金法19条1項の生計同一性要件について,「死亡した受給権者が有していた年金給付又は保険給付に係る請求権は,一身専属性を有するもので相続の対象となるものではないが,受給権者の死亡の当時に受給権者と生計を同じくしていた遺族の生活保障の見地から,当該遺族に未支給の年金又は保険給付を支給することを特に認めた趣旨であると解される」として,「原則として,現に消費生活上の家計を一つにしていると認められる状況にあることを要すると解するのが相当である。夫婦の場合,たとえ婚姻関係が悪化して別居するに至っていても,夫婦の一方から他方に対して,任意的であれ強制的であれ婚姻費用分担金が支払われている場合には,特段の事情のない限り,現に消費生活上の家計を一つにしているということができる。」「しかし,現に婚姻費用分担金が支払われていない場合でも,夫婦の一方が家庭裁判所の確定審判等により債務名義を得て強制執行に着手することを検討しているような場合,現に婚姻費用の支払を受けていないことをもって直ちに生計同一要件を充足していないとするのは不合理である。更に,強制執行が不奏功となったり,奏功する目途がないため(婚姻費用分担義務者に年金収入しかない場合はその典型である。)婚姻費用分担金請求の債務名義の取得等に時間と費用を掛けることを避け,当面の生活費の不足分を借入れ等によって一時的に補填した場合,そのような借入債務は,本来,日常家事債務として夫婦が連帯してその責任を負うべきもの(民法七六一条)であることに照らせば,このような状況において現に婚姻費用分担金が支払われていないからといって直ちに生計同一要件を充足しないとするのも不合理である。」「このように,夫婦における生計同一要件充足性の判断においては,現に消費生活上の家計を一つにしているか否かという事実的要素によってのみ判断することで常に足りるというものではなく,当該夫婦の個別的具体的事情を勘案し,婚姻費用分担義務の存否その他の規範的要素を含めて判断すべき場合があるというべきである。」「法律上の夫婦については,婚姻関係が悪化したことにより別居中であったとしても,当該夫婦の婚姻関係が実体を失って形骸化し,かつ,その状態が固定化して近い将来解消される見込みがないとき,すなわち事実上の離婚状態にあった場合(単に婚姻関係が事実上破綻の域に達しているというだけでは足りず,当該夫婦が合意の下に既に完全に独立して生計を立てているとか,事実上の離婚給付に相当するものが支払われるなどして,当該夫婦間の具体的な婚姻費用分担義務が否定され消費生活上の家計を一つにしていないといえるほどに事実上の離婚状態が作り上げられていたような場合がこれに当たると解される。)や,遺族となった配偶者にも十分な収入がありその生計維持のために受給権者からの経済的援助の必要がなかったことが明らかである場合は別として,受給権者が死亡した時点で遺族となった配偶者に対して現実に受給権者から経済的援助がされていなかったという事実的要素のみをもって生計同一要件を充足しないと判断することは相当ではない。」と判断しています。 本件では,ご主人から毎月1万円程度奥さんに生活費の援助があったわけですから,この仙台高等裁判所の判旨に基づけば,生計同一性要件を充たしており,未支給年金の請求は可能であると思います。 以上に関し,国税庁も,「未支給年金については,当該死亡した受給権者に係る遺族が,当該未支給の年金を自己の固有の権利として請求するものであり,死亡した受給権者に係る相続税の課税対象にはなりません。」「なお,遺族が支給を受けた当該未支給の年金は,当該遺族の一時所得に該当します。」と解説しています。 |
弁護士 田上尚志(平成29年08月01日) |
参考文献 年金保険法〔第4版〕−基本理論と解釈・判例(著者:堀 勝洋 法律文化社) 判例秘書登載の上記各裁判例 判例タイムズ896 73頁〜89頁 国税庁HP(https://www.nta.go.jp/shiraberu/zeiho-kaishaku/shitsugi/sozoku/02/09.htm) |
〒698-0027
島根県益田市あけぼの東町13番地1
赤陵会館2階
TEL 0856-25-7848
FAX 0856-25-7853